愛車をよみがえらせる板金塗装ガイド

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走り屋だった10代

バイクから自動車へ

高校を卒業するころになると、私の趣味はバイクから自動車へと変わっていきました。もちろん、周りの友人の多くもそうでした。そして、誕生日を迎えるのと同時に、自動車教習所に免許を取りに通いはじめたのです。

今となっては笑い話ですが、あの当時は4月や5月生まれで早く自動車の免許が取得出来る友達のことを、本当に羨ましく思いましたからね(笑)。

ただ、私も誕生日が5月と早かったのですが、免許を取るお金を稼ぐのに時間がかかり、結局免許を取ったのは高校を卒業して専門学校に入学してからでした。

そして、免許を取得した私は、すぐに中古の自動車を購入したのです。

パンダトレノやレビン、スープラに憧れて

私が購入した車はカローラのバンでした。本当はレビンやトレノといった走り屋系の速い車が欲しかったのですが、当時の私は18歳。そんな高価な車を買えるわけがありません。

ただ、学校や地元の先輩で既に就職をしていた人たちは、このような走り屋系の車を購入し、馴染みのガレージや板金塗装のお店でチューニングを施した後、○○峠といわれている場所に走りにいっていました。

そして、そんな先輩のケツを追っかけて、私も週末の夜になると愛車で出掛けていったものです。

峠を攻める!

私は西多摩地区に住んでいましたので、走りにいくスポットといえば、奥多摩の周遊道路か、その付近にある東京から埼玉県に抜ける峠(名前は忘れました)、あるいは神奈川の方にある大弛峠(おおだるみとうげ)でした。

当時は私のように車・バイク好きな若者が大勢いて、週末の峠はこのような若者で、まあ賑わっていたものです。

もちろん、ちょっとした接触事故はそこら中で起こっていましたので、板金塗装のお店のスタッフが、レッカー車で夜中に峠に来るなんて光景も当たり前でしたね。また、レッカー専門の業者もあったように記憶しています。

今となっては懐かしい思い出です。

 
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